ルクセンブルク大公国について
西暦963年、アルデンヌ家のジーゲフロイド(Sigefroid)伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、
砦を"lucilinburhuc"(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。1060年頃、アルデンヌ家の分家で
あるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝やボヘミア王を
出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4
世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、1461年にブルゴーニュ公国に併合された。その後、ネー
デルラント一帯はハプスブルク家領となり、ルクセンブルクはハプスブルク領ネーデルラントの一州としてスペインやオー
ストリアの支配を受けた。
フランス革命期にフランスの支配を受けた後、1815年にウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を
大公とするルクセンブルク大公国となった。1830年のベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、ベルギーの独立
後は首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。1831年、ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュク
サンブール州)をベルギー、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた。この割譲が実現されたの
は、1839年なってからである。1867年にはロンドン条約によってプロイセン王国とフランスの緩衝国とするため永世中立国
となった。1890年、元ナッサウ公のアドルフがルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消した。
第一次世界大戦と第二次世界大戦においては、ドイツの占領下に置かれた。1948年、ベネルクス間で関税同盟を結成。1949
年にはNATOに加盟し永世中立を放棄した。1957年に欧州経済共同体、1967年に欧州連合、1999年にユーロ圏へといずれも原
加盟国として参加している。
立憲君主制。国家元首はナッサウ=ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公。内閣とともに行政権を執行する。
2009年現在、大公位を保持するのは世界でルクセンブルク大公のみである。
議会は代議院による一院制。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院
(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、首相の推薦に基づき、大公が任命する。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
西ヨーロッパの国家ですね。政治や経済についてとても興味があります。
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